天声手帳

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日本の文字の起源を考える

池袋の古代オリエント博物館で「世界の文字の物語」を見学した。それによると紀元前3000年頃からエジプトや古代オリエント〈今のトルコ、イランあたり〉で楔形文字象形文字、アルファベットの原型が粘土や石に書かれたのが始まりという。内容は王の功績を称えるものや戦い様子、結果を記したものが多い。
食料の備蓄が可能になり、貧富の差が生まれると戦いが起きて、クニが形づくられる。このときにもう自分たちの功績を後世に伝える手段が生まれたのだろう。

 

振り返って日本はどうか。238年卑弥呼が「親魏倭王」の金印をもらったときに、漢字が読めたかどうかはわからないが、金印は王からの命令であることを示すときに使うと教えられれば、興味をもって見たに違いない。
372年七支刀が神功皇后に贈られたときは、百済倭国との同盟を求めて贈ったとされているので、書かれた漢字は読めたと思う。千熊長彦(武蔵国の出身ですよ)が百済の使者を連れて持ち帰ったので、皇后と武内宿祢に、その経緯や書かれた内容を十分説明しているからである。

 

日本書紀では応神天皇16年〈400年ごろ〉百済王仁千字文論語の漢字を日本に伝えたのが漢字伝来のはじめと教わった。471年の日本最古の文字が書かれた稲荷山古墳の鉄剣(行田市ですよ)は明らかに日本人が書いた、と思われるのでもう漢字を使って記録を残す作業が行われたと考えていい。

 

聖徳太子は604年に十七条の憲法を制定し、615年に三経義疏を推古天皇に献上している。その後変則万葉仮名まじりの漢文で書かれた古事記が712年、漢文の正式歴史書である日本書紀は720年に成立している。 

日本の文学に文字が現れるのは、万葉集の629年の舒明天皇の和歌が最も古い。751年には最古の漢詩集である懐風藻がつくられた。

 

カナ文字はというと、借字(かな)と呼ばれる万葉仮名が有名である。905年の古今集の序は真名〈漢字〉と借名で書かれているので、どちらが読みやすいかを読者に委ねたものだろう。1008年源氏物語が書かれたときには、もう日本文学としてかなまじりの日本語が出来上がっている。

 

アイヌ民族は文字をもたないという。文字がないと文化の伝達が不確かなものになるので、文明が遅れる。日本が中国から漢字を取り入れて、かなを発明したのは文化を庶民にまで伝えるのに、大いに役立っている。誰が発明したかははっきりしていないが、今なら文化勲章や勲一等をあげてもいいと思う。


江戸時代に蔦屋重三郎が吉原大門の前に書店を開き、洒落本や狂歌本、小説まで発行したのは、一般庶民に文字を啓蒙したという点ですばらしいヒットである。

だから私は販売を禁止した松平定信より、奨励した田沼意次のほうがまともだと思っている。