天声手帳

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面白かった稲荷山古墳鉄剣と文学

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今日は家から電車で30分のさいたま文学館に、考古学研究者坂本和俊先生の記念講演を聞きに行った。表題は「稲荷山古墳鉄剣の銘文と文学」で先生独自のユニークな意見を聞け、面白かった。

鉄剣には自分(オワケの臣)の7代前からの先祖の名前と、雄略天皇に仕えたことが記されている。先生は棺の形態が舟形であること、副葬品に冑がないこと、同じ銅鏡が静岡や奈良から出土していることなどを根拠に埋葬者はオワケの臣の部下(または息子)で、舟運とかかわった人物としている。

 

稲荷山古墳のあたりは当時万葉集の埼玉津と呼ばれる港であり、北枕で舟形木棺に埋葬された人物は他地域との交流を深めるために婿入りして、亡くなると故郷へ船で帰った(帰葬)というのである。銅鏡の分析から奈良の藤の木古墳に類似しており、被葬者の故郷は大和で出身は膳氏と推測している。それが真実かはわからないが、考古学者なのでそれらしい証拠をきちんと提示している点はすばらしい。

 

鉄剣に書かれた文字は日本最古であるが、文学とどうかかわりがあるのかも興味を持った。先生はこの文字をすでに文学ととらえていた。歴史学者は文献、考古学者は遺跡と研究対象が異なるため、いつも異なる学説を唱えることが多い。邪馬台国の所在地を歴史学者は九州、考古学者は近畿と言っているのがいい例である。

 

最後に先生は、もう一人歴史を語る人として文学者(小説家)を入れて、その見解を評価していた。「ワカタケル大王」を書いた黒岩重吾は勾玉をいろいろな場面で財貨として扱っている。丹波に大和より鉄が多く出土するのは、丹波から出土する水晶玉を鉄と交換したためである。井上ひさしの「腹鼓記」はふいごや金箔を延ばすのに狸の皮を使っていることを説明された。

 

松本清張は小説そのものに歴史を扱う作品も多く、「陸行水行」など歴史の本より邪馬台国に詳しい。小説はフィクションなので、想像だけと思いがちだが小説家は歴史家や考古学者の実績を調べて、それを元にリアルな分析をして書いているのである。その中の説に真実があれば、考古学者や歴史学者が、あとから証拠づけをすればいいのである。なんか物理の学説に似ているところがあると思った。

 

次回の講演はアマチュアの考古学の鬼と言われた「森本六爾とその弟子」である。今から楽しみにしている。

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