天声手帳

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昭和の思い出

私の昭和の思い出は何といっても大相撲である。初めて動く絵、テレビジョンが登場し父の会社の食堂に設置されたので、相撲の時間になると食堂へ出かけた。テレビジョンの前はいつも人だかりでよくみえる場所を確保するのが大変だった。

当時は千代ノ山、吉葉山鏡里栃錦が4横綱で、大関に朝汐、若乃花、松登、大内山がいた。個性的な型を持った力士が多く、起重機と呼ばれつりが得意な明歩谷、もろ差しの鶴ヶ峰、すぐに頭をつける潜航艇の岩風、弾丸小僧の房錦、内掛けの琴ケ浜など
今でも名前や取り口はすぐ出てくる顔ぶればかりだ。

学校の先生が将来は絵が動くだけでなく、絵に色がつき、香りも出ると言った。色が付いたのはすぐ(東京オリンピックの時)だったが、香りはまだ実現していないといつも思う。

 

大河ドラマは普段映画でしかみられない人気の俳優が登場したので、ただで見られるとあって時間になるとテレビの前に家族中が必ず揃った。花の生涯尾上松緑佐田啓二赤穂浪士長谷川一夫、タイトルに流れるテーマソングは今でも強く耳に残っている。山鹿流の陣太鼓を鳴らし、「おのおのがた、討ち入りでござる」というセリフはものまねタレントだけでなく、庶民一人ひとりがみんなまねてその時の感動を味わっていた。

今は何をみてもあの時の衝撃的な感動は得られない。何でもそろっているのが当たり前の時代だからだろう。カラーテレビが薄くなって画面が大きくなったり、画像がより鮮明になったりしているが、それは初めて白黒テレビをみた時の感動には及ばないのである。大河ドラマも主演が大物映画俳優から若手俳優に切り替わった時はもう以前の感動はなかった。

 

戦後すぐの昭和は革命だったのだろう。夢見ていた生活が3種の神器(白黒TV、洗濯機、冷蔵庫)で次々と実現した。それは少し経つと次は3Cと呼ばれた。カラーTV、カー、クーラーである。この時はもうそれらはぜいたく品と言われ、なければないですませるモノになってしまっていた。

 

「3丁目の夕日」という映画があった。若い人には何がいいたいのか、どこがいいのかわからないと思う。でも団塊世代はストーリーをみているのではなく、あの頃の自分を思い出しているのである。夕日の向こうに東京タワーがあるだけだが、その景色は子供の頃に見た景色と変わっていない。あのとき自分は・・・・・。
次々になつかしい人の顔が浮かび、今は会うこともできない思い出の中で昔の友達に会っているのである。

その後高校、大学、社会人とそれぞれの思い出はあっても、小学校、中学校時代ほど鮮明でないのはなぜだろう。人は年を取ると、どんどん感動するものがなくなる。だからさらに新しいものを求めて、あの感動を再びほしがるが求めれば求めるほどそれは遠くに逃げてしまう。

 

昭和は遠くなっても心の中に生きている。それは知らないうちに大切なものをなくしてしまった自分に、もう一度何が大切だったのかを教えてくれる宝である。そしてこれからの人生にづっと持ち続けて行きたい荷物である。